成巽閣のみどころ
文久3年(1863年)、奥方のために建てられたこの建物は当初、巽御殿と呼ばれました。金沢城から見て巽の方角(東南)にある事、京都の鷹司家が辰巳殿と呼ばれていた事にちなんで、こうした名前がつけられました。
成巽閣は武家書院造と数寄屋風書院造を一つの棟の中に組み入れた巧みな様式をもつ建造物であり、江戸時代末期(1860年代後半)の武家造の遺構としては類例のないものと高い評価をいただいており、また、大名正室の御殿としては、日本国内に唯一現存する建造物となっております。
前田家奥方御殿その様式
前田家13代齊泰は12代奥方に対して、細やかな心配りに満ちた優しく雅な空間を造りあげています。御夫人の隠居所として建てられたので、武家の正殿のような堅さはなく、二条城や西本願寺の書院造に比べると優しい様相を呈していることがわかります。
階下の材には紅い漆を用い・壁は土を使わず紙貼りとされており、小鳥の絵が描かれたオランダ渡りのギヤマン、「謁見の間」の極彩色の欄間や「群青の間」を代表とする階上の鮮やかな色壁など、豊かな彩色はこの御殿の大きな特色です。
階下は公式の対面所である“謁見の間”をはじめ広間、“鮎の廊下”の一区画に、御寝所の“亀の間”、納戸の間、“貝の廊下”の一区画、また御居間の“蝶の間”、“松の間”、“つくしの廊下”の一区画、さらに茶室の“清香軒”、“清香書院”、“内露路”からなる一区画と、大きく分けて4つの部分より構成されています。
階下の材には紅い漆を用い、各部屋の間仕切に土壁を使わず紙貼りとしました。その上に金や雲母を用い雲や有職の文様が施されています。一旦緩急があった時に、戸、障子を全部取り外し大広間として使われるように考慮されています。
さらに障子の腰板には蕨(わらび)・土筆(つくし)・蒲公英(たんぽぽ)・水仙・万年青(おもと)・菫(すみれ)・蝶・亀など、部屋及び廊下の名称となるとなる様々な愛らしい絵が描かれており、取り外しても間違わずに入れることが出来るようになっている他、御殿を春の色に彩っています。小鳥の絵が描かれたオランダ渡りのギヤマン、「謁見の間」の極彩色の欄間や「群青の間」を代表とする階上の鮮やかな色壁など、豊かな彩色はこの御殿の大きな特色です。
御寝所の「亀の間」は「万年青の縁庭園」に面しています。そこには樹木で表現された大きな亀が置かれ、心安らぐ水音とともに奥方の眠りを守っていました。繋がる「つくしの縁庭園」は御居間である「蝶の間」に面しています。約20mの長いつくしの縁には柱が1本も無く御部屋からの眺めに配慮され、また、ここでは小鳥を愛でるために水音は消されています。
階上は趣きが一変します。“謁見の間”、“喋の間”の上に位置し、群青の間を中心とした数寄屋風書院造の七宝から構成されています。階下と異なり白木が用いられ、さまざまな色壁を大胆に用いています。床の間の形態や天井の木の杢目、壁の意匠を部屋ごとに変え、大変趣向が凝らされた極めて斬新なものとなっています。輸入した顔料を用いるなど、江戸時代末期の西欧文化を建物の中に大胆に取り入れています。
謁見の間
加賀百万石前田家を象徴する謁見の間は公式の御対面所として使用されました。花鳥の欄間を境とし上段、下段18畳からなり、広間33畳へとつづき、材には色漆、壁は金砂子の貼壁、障子の腰板には花鳥の絵が施されるという華麗で瀟洒な造りを特色としています。
遺された数少ない大名の書院建築の中において、さらに類例の無い奥方の御殿です。
つくしの縁庭園
つくしの縁庭園は柱の無い縁から眺めることのできる開放的な庭園です。
この庭園は、国指定名勝の「飛鶴底」からつづき、雄松、五葉松、楓、紅梅などが配され、その合間を縫うように辰巳用水から分流された遣水がゆるやかに流れています。
万年青(オモト)の縁庭園
御寝所の亀の間に面している万年青(オモト)の縁庭園は、つくしの縁庭園からの遣水が廊下を挟んで流れ込む庭園ですが、様相は一変します。
遣水は深くなり、ゆるやかだった流れは水音が響くように工夫されており、樹木が覆う深山渓谷を彷彿とさせます。また、中央に並ぶ三本のキャラボクは万年の時を経た吉祥の亀を表現しています。
群青の間・書見の間
格式のある階下の書院に対して、階上は意匠を凝らした数奇屋風書院の造りです。
群青の間とそれに続く書見の間は、階上における最も重要な空間でした。
天井は折上天井とし、素材の杉柾を目違いに張り、蛇腹および目地には群青、壁に朱や紫を用いるなど空間を意匠が縦横に飛び交う色鮮やかなお部屋となっています。
また、ここで使われる群青はウルトラマリンブルーという顔料を使用しています。
網代の間・越中の間
数寄の贅を尽くした階上において、網代の間とそれに続く越中の間は天井を網代張りとするなど、限られた空間の中に工夫を凝らした意匠が多くみられます。
また、当時オランダから輸入されたギヤマンを用いた雪見障子など、江戸末期の西欧文化も大胆に取り入れられています。
清香軒・清香書院・飛鶴庭
国の重要文化財として、普段は非公開となっている茶室「清香軒」と広間「清香書院」、そこから見渡すことのできる花鳥や彩色にあふれた国指定名勝「飛鶴庭」。ここから障子を開ければ、ゆるやかな遣水に配された石組み、そして六地蔵の手水鉢などの景が望めます。